バレエ

静謐の中に潜むバレエ美学―ドラジェの精(金平糖の精)第14曲 パ・ド・ドゥ (Pas de deux) 女性ヴァリエーション Danse de la Fée-Dragée

『くるみ割り人形』の中で、ひときわ有名な旋律といえば「金平糖の精」のヴァリエーション。

おそくら誰もがどこかで一度は耳にしたことがある、あのきらびやかで幻想的なメロディです。

舞台上では、お菓子の国の女王として登場する金平糖の精が、この音楽に合わせて踊ります。

その姿にはただの技巧だけでなく、気品優美さ、そして繊細な表現力が求められます。

派手なジャンプや回転こそないものの、静けさの中に潜む難しさこそが、このヴァリエーションを特別なものにしているのです。

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「金平糖の精」か!?「ドラジェの精」か!?

『くるみ割り人形』第14曲 パ・ド・ドゥの女性ヴァリエーションは、日本では長らく「金平糖の精」と呼ばれてきました。

しかし、原文では「Danse de la Fée-Dragée」、日本訳では「ドラジェの精」になります。

ドラジェは砂糖で包まれたアーモンドなどを指し、ヨーロッパの祝い菓子として広く知られています。

日本語に翻訳する際、おそらく日本人に馴染みのある「金平糖」に置き換えられたことで、この親しみやすい呼び名が定着しました。

近年では「ドラジェの精」と原題の役名にするところも増えていますが、日本人にとってはやはり「金平糖の精」と呼ぶ響きのほうがしっくりくるかもしれませんね。

金平糖やドラジェの形状の比較なども紹介した過去記事がありますので、そちらも参考にして頂ければと思います。

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チェレスタが描く幻想世界

このヴァリエーションを唯一無二の踊りとしているのが、チェレスタという楽器の存在です。

1886年に発明されたばかりのこの新楽器は、作曲中のチャイコフスキーにとって金平糖の精を表現するのに、打ってつけの楽器でした。

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柔らかく金属的で、ガラスの粒が降り注ぐような響きは、舞台を一瞬で夢の世界に変えてしまう威力があります。

チェレスタはこの女性ヴァリエーションだけでなく、第2幕の随所で用いられ、全体の世界観を織りなしています。

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ちなみに楽譜には「ピアノで代用可」と記されていて、必ずしもチェレスタでなくてもいいことになっています。

もっともチェレスタでなければ踊りの魅力は半減してしまうので、現代ではどうしてもチェレスタを用意するのが難しいという時は、シンセサイザーで対応するというのも、稀にですがあったりします。

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シンプルゆえに恐ろしく難しい振付

踊りそのものは驚くほど静かで、最後のテンポが速くなるマネージュの部分を除けば、派手な跳躍や回転はほとんどありません。

中心となるのは、アラベスクを長く保ち続ける持久力バランス、ポワントで身体を微動だにさせず安定させるコントロール。

観客には一見シンプルに映りますが、実際には高度な集中力基礎力を問われる恐ろしいヴァリエーションです。

クラシックバレエは誤魔化しがきかないため、アップテンポの曲なら別として、金平糖の精のようなゆっくりとした曲のバリエーションは、かなり難易度が高い踊りと言えるでしょう。

ガチガチの「5番ポジション」が命綱

クラシック・バレエ全般に言えることですが、この踊りに関しても一番大事なのが「足の5番ポジション」

クラシック・バレエの基本中の基本ですが、この曲では特に足を締め切り、隙間を一切作らないことが要求されます。

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少しでも5番が甘くなってしまうだけで舞台全体を壊してしまうため、足元の精度は常にマックスな状態でいなければいけません。

これをゆっくりとしたテンポで、しかも笑顔を絶やさず気品さ維持して踊るのは、テクニックのみならず相当な精神力が必要と言えるでしょう。

静けさを壊してはいけないポワントワーク

チェレスタの響きを生かすためには、トゥシューズで床を強く踏みつけてはいけません。

足をスッと吸い付けるように静かに降ろす必要があり、「音を立てない踊り」が求められます。

音楽が静かな分、少しでもドスンと降りてしまうと悪目立ちしてしまうので、繊細なコントロールが不可欠です。

ダンサーはただ立つだけでも全身を研ぎ澄ませ、音楽と一体となることが求められます。

ラストのマネージュはカットされることも

後半Presto部分以降からマネージュ(円を描きながら転する動き)が始まりますが、振付によってはこの部分をカットすることもあります。

代表的なのが、下の動画にあるロシアのマリンスキーバレエ団が採用しているワイノーネン版です。

ワイノーネン版では、振付を音楽の緩やかな部分に焦点を当てており、金平糖の精の優雅さや気品を最後まで際立たせることを重視させたかったのかもしれません。

ちなみに演奏会組曲の「金平糖の精」は、譜面上最初からカットされています。

もともと作曲してあったバレエ音楽を、演奏会用に編み直す際に、全体の演奏時間を調整する必要があったのでしょう。

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最後に:静謐の中に潜む美学

まとめるなら、このヴァリエーションは

「シンプルだからこそ難しい」そして「静けさの中に気品や優美さを求める」

踊りです。

『ドン・キホーテ』のキトリのヴァリエーションのような、派手な回転やジャンプがない分、一歩ごと、立ち姿一つごとが観客に鮮烈な印象を与えます。

そして、そのすべてを包み込むチェレスタの音色が、舞台を幻想的に照らし出します。

派手さとは正反対の美しさ――それが金平糖の精のヴァリエーションの魅力と言えるでしょう。