今回は映画『リトル・ダンサー』におけるマイケルの存在意義を中心に、バレエとLGBTの関係をお話ししたいと思います。
「この映画のマイケルの役割って何なの?」
「マイケルを登場させる意味がわからない」
という質問を受けたので、その点について大人男性からバレエを始めた者の視点からお答えしようと思います。
ネタバレありなので未見の方は注意が必要ですが、性差別の問題にも言及しているので、そちらの方面について関心のある方に参考になるような記事になっています。
<あらすじ>
1984年、イギリスの北東部にダラム。炭鉱として栄えていたその場所はサッチャー政権による政策への対抗で組合運動が激化していた。11歳のビリーは父親から無理やりボクシングを習わされていたが、ふとしたことからバレエに興味を持ち始め、踊ることにのめりこんでいく。保守的な土地柄で、父親も兄も始めはバレエなど女の子のやるものだと認めなかったが、ビリーのバレエへの情熱を最後には理解し、夢をかなえてやろうと決心する。
マイノリティ同士の支え合いの物語
バレエもLGBTも少数派
映画の中でのビリーとマイケルの2人の関係は似たような境遇と言えます。
どちらも少数派(マイノリティ)の部類に属しています。
ビリーは女子ばかりのバレエ教室でただ一人の男子ですし、マイケルは同性愛者です。
LGBTはセクシャルマイノリティであることは周知の事実として、男性(男子)バレエもバレエ界全体においては少数派です。
『バレエ教育に関する全国調査2016』調査結果によると、全国のバレエ学習者約36万人に対して、男性のバレエ学習者は8,000人にいかないぐらいです。
全体から見れば男性バレエ学習者は約2.2%なので、圧倒的に少数であることは数字上でも顕著です。
マイノリティ同士の絆
上記のように、ビリーとマイケルはお互い少数派のグループに属していると言えます。
ビリー:バレエは女性がするものという価値観の中で、男子一人でバレエをしている。
マイケル:既存の性別の価値観が強い地域の中で、同性愛者を自認して生きている。
このように形態は違えど、2人はマイノリティ同士で、お互いの存在を認め合い、そして支え合いながら生きていると言えます。
映画の中では、それがわかる印象的なシーンとして、以下の2つを挙げておきましょう。
<路上でのタップダンスシーン>
一つは、ビリーの父と兄がバレエに理解を示さず、バレエの先生であるウィルキンソン先生と喧嘩しているところから逃げて、タップダンスを路上で狂ったように踊るシーンですね。
ビリーが怒り狂って踊りでストレスを発散しているのをマイケルが何も言わず静かに見守る場面は、マイケルも同性愛のことで差別的な発言を聞かされて嫌な思いをしたことがあるのが読み取れます。
<ビリーがマイケルにチュチュを着せてあげるシーン>
もう一つとしては、クリスマスの日にビリーがマイケルにチュチュを着せてあげるシーンです。
姉の服を着て化粧を楽しんでいるマイケルをビリーは最初は気味悪がっていましたが、この時は自分からチュチュを用意して、マイケルに着せバレエを教えてあげます。
ビリーが自分からチュチュを着せてあげることはマイケルのこと(同性愛)を認めてあげていることの隠喩であり、たわいのない場面ですけど、実は奥が深いシーンと言えるでしょう。
これらの場面からわかるように、映画は
社会や集団の中でマイノリティとして生きている2人が励まし支え合いながら生きている物語でもあります。
父親や兄など家族関係を描いた場面が目立ちますが、ラストシーンではマイケルを登場させていることからも、2人の友情、そして愛情も物語の重要な要素となっていることがわかります。
2人は社会から疎外感を感じながらも、自分の存在をお互いに肯定し合いながら一生懸命に生きていることが作品の重要なベースでもあるのです。
マイケルの前向きな姿勢が、ビリーのバレエに対する興味を後押ししている
ビリーは最初はバレエを邪険に扱っている
映画の序盤では、ビリーは心の底ではバレエに興味を持ち始めているのに、そのことを自分自身では認めていません。
ウィルキンソン先生の娘であるデビーに
「男がバレエなんてやるのか。オカマがやるんだろ」
と言ったりさえしています。
バレエに興味を持っている自分が変態なのではないかと、ある種の恐怖さえ感じているようにも見えます。
「マジョリティからはずれる恐怖」
は原始時代から群れを作って生きてきた人間の本能を考えれば、当然のことと言えます。
マイケルは同性愛者である自分にポジティブ
一方でマイケルは、同性愛者であることを周囲に大っぴらにしてないにしても、常にポジティブです。
親友であるビリーには自分の性的指向を隠していないし、お化粧をしたりして楽しんでいます。
マイケルは最初から自分に対して前向きで、自分のマイノリティ属性に関して卑屈になってはいません。
そして、そんなマイケルが自分に素直にポジティブに生きている姿が、ビリーを無意識のうちにバレエに前向きにさせているのです。
自分が好きなことに、自分らしく素直に取り組んでいけばいいと。
自分の周りが父や兄のように
「バレエ女の子がやるもので、男はボクシングをするもの」
という人達だけに囲まれていたら、ビリーはバレエに積極的に取り組むことはできず、レッスンを続けることはなかったかもしれません。
マイケルが自分の気持ちに素直に従って生きているのを見て、ビリーは孤独感や疎外感に負けることなくバレエを続けることができたのでしょう。
ビリーはロイヤルバレエ学校に向かう時にマイケルにキスをしますが、それは友情から出たものだけでなく、感謝の気持ちを表した場面とも言えます。
最後に
多数派の価値観にとらわれず自分らしく生きることの難しさは、バレエだけでなく他の分野にも当てはまり、その点でこの映画は普遍性を持っていると言えるかもしれません。
自由に生きることがどれだけ大変なことなのか、どうやって自分らしく生きるかもテーマとなっているのですね。
この映画の監督スティーブン・ダルドリーは、自分がバイセクシャルであることを認めているので、監督個人の考えも投影されていると言えますが、自分らしく生きることの難しさ、そして大切さが映画のメッセージの一つとして隠されているからこそ、多くの人が作品に感動すると言えるでしょう。