『くるみ割り人形』第1幕のラストを飾るのは、雪山で見るような幻想的な情景「雪のワルツ(Valse des flocons de neige)」です。
物語は、クララとくるみ割り人形の王子(元・くるみ割り人形)が、ネズミの王様を倒したあと、お菓子の国へと向かっている途中の場面。
雪が舞い降りる森の中で、2人を祝福するかのように、雪の精たちが美しく踊ります。
このシーン、実は『くるみ割り人形』の全編を通してもっとも雪が本気で降る場面。
ある意味、一番クリスマスらしい瞬間と言えるでしょう。
今回はこの積雪量の多い場面である「雪のワルツ」のご紹介です。
舞台演出の極致:雪の精たちの群舞(コール・ド・バレエ)
舞台上に広がるのは、白と銀を基調としたチュチュに身を包んだ雪の精たちの群舞(コール・ド・バレエ)。
衣装にはクリスタルの装飾がほどこされたりすることもあり、照明を受けてキラキラと輝きます。

髪飾りやヘッドピースにも氷や雪のモチーフが散りばめられ、まるでダンサーの一人一人が踊る雪の結晶のようです。
群舞(コール・ド・バレエ)の動きは雪が風に舞い散るようで、足さばき、腕の動き、揃ったラインが、舞い降りる雪玉に似た視覚的美しさを生み出します。
軽やかなジャンプ、ふわりと浮くような回転、つま先で滑るようなステップ。
その一つひとつが、重力の束縛から解き放たれた“空気の粒子”のように感じられます。
ときどき”ホワイトアウト”寸前のような演出も!?

この「雪のワルツ」ですが、演出によってはものすごい豪雪のようなものもあります。
舞台上にどんどん降り積もる紙吹雪・・・。
あまりに降りすぎて、観客としては
「ダンサー、前見えてるのか!?」
と心配になるほど。

まれにホワイトアウト気味の演出もあり
「これはもう遭難レベルでは?」
と思うものもあります。
もはやトゥシューズではなくアイゼン(登山用の金属製爪)を履いてほしくなるくらいです。

もちろん雪は本物ではありません。
ちなみにこの雪、たいていは紙片やフェザー素材でできたものを降らしています。
踊った後の舞台袖でダンサーが紙吹雪を口から吐き出す光景は、「雪のワルツ」あるあるでしょう。

華やかさの裏にある、プロフェッショナルのリアリティですが、大量の紙吹雪が舞台を舞えば口の中に入るのは避けられません。
個人的に好きなのは「雪のワルツ」が終わって休憩が入り、次の第2幕の幕が上がった時に、たまにチラチラと紙吹雪が残って床の上を舞っているのが好きなところです。
照明に当たりながら、ひらひらと舞っている光景は、お菓子の国へ向かう途中の雪の爪痕のようで、妙に目を引かれる美しい残雪です。

音で「雪」を降らせるという芸当
この曲が特別なのは、視覚的な美しさだけでなく
音楽自体が雪を描いている
ところです。
冒頭、フルートが「ポタッ」と雪を落とすような動きから始まります。

そのあとも、16分音符や8分音符が細かくちらちらと繰り返され、雪の“ひらひら感”や“舞い落ちる速度”が音の動きだけで表現されるのです。
目で見る前に、耳で雪の結晶が舞っていると感じられるのは、チャイコフスキーの素晴らしい描写力と言えるでしょう。

自分は雪山に登山する前は、「雪のワルツ」を聴いて心の準備をしています。
実際の冬期登山は滑落など危険性が高いので、雪の精に守ってもらえるように願をかける意味でこの「雪のワルツ」を毎回重宝しています(笑)
合唱の魔法——天使の歌声が舞い降りる
さらにこの曲を特別なものにしているのが、合唱の挿入でしょう。
しかもこれは歌詞のないヴォカリーズ(母音で歌うスタイル)です。

言葉を超えた響きが、天上から舞い降りる天使のように降り注ぎ、舞台の幻想性を何倍にも引き上げてくれます。
予算の都合上などで、この合唱がなく楽器だけの時もありますが、歌う部分はこの曲だけなので、合唱抜きになってしまうのもわからなくはありません。
初演当時は「くるみ割り人形」はオペラ《イオランタ》との二本立ての上演で、歌い手が常駐していた背景があり、あえて用意する必要もなかった事情がありました。
ベートーヴェンの「第9」の第4楽章のように、それなりに長く歌う歌詞付きの独唱および合唱があるわけではないので、「雪のワルツ」だけのために歌い手を用意するのはバレエ団の規模によっては難しいかもしれません。

最後に
「雪のワルツ」は、視覚・音・声・舞のすべてが重なり合って、雪が舞い降りる森の中を通り抜ける場面を立体的に描き出しています。
どんなに豪雪でも、紙吹雪を飲み込みながらでも、ダンサーたちは宙を舞い、音楽は雪を描き、合唱は空気を震わせてくれます。
世の中的には「花のワルツ」がより有名ですが、この「雪のワルツ」ももっと知ってもらいたい名曲・名場面と言えるでしょう。