(男性バレエ栄枯盛衰史⑤)古典バレエ作品を再構築し「主役としての男性」を取り戻そうとする巨匠たち
20世紀初頭、バレエ・リュスは「男性はただ女性を支える存在」という常識を打ち破り表現者としての男性ダンサーを舞台の中心に呼び戻しました。
しかし、その革命はそこで終わりではありません。
バレエ・リュスが切り開いた道を、クラシック・バレエの本丸=古典作品の中で本格的に再構築した人物たちがいました。
それが、ユーリー・グリゴローヴィチやルドルフ・ヌレエフといった巨匠たちです。
彼らは
「古典作品では男性は脇役でいい」
というバレエの潮流を正面から見直し、古典そのものを使って、男性の地位を引き上げるという大胆な挑戦を行いました。
ここでは、既存の名作を“昇華”しながら、男性バレエダンサーの凄さを可視化しようとした代表的な振付家2名を紹介します。
1. ユーリー・グリゴローヴィチ(ボリショイ・バレエ)
グリゴローヴィチは、ソ連時代のボリショイ・バレエを長年率いた芸術監督。
彼のバレエの特徴を一言で表すなら、
男性の力強さ × 物語のドラマ性
です。
『スパルタクス』のようなオリジナル作品が有名ですが、彼の真骨頂は、古典作品の再解釈にもあります。
たとえば『白鳥の湖』。
それまでの王子は
夢見がち
やや受け身
どこか影の薄い存在
として描かれることが少なくありませんでした。
しかしグリゴローヴィチは、王子を
葛藤し、選択し、運命と闘う存在
として描き直します。
そのために用いられたのが、ボリショイが得意とする
高い跳躍
複雑な回転
スピード感あふれる足さばき
といった、ダイナミックでアクロバティックな男性技巧です。
従来男性のソロが少なかった古典作品の中で、男性のヴァリエーションを増やし、難度の高いものにすることで、男性ダンサーが
「物語の推進力」
「単独のスター」
として輝く場面を大幅に増やしました。
この流れの中から、イレク・ムハメドフのような圧倒的な存在感を持つ男性スターも生まれていきます。
2. ルドルフ・ヌレエフ(パリ・オペラ座、ウィーン国立バレエ ほか)
ヌレエフは、バレエ・リュスのニジンスキーに並ぶ20世紀最大級の男性スターです。
ロシアで活躍していましたが、その後亡命して西側諸国で活動し、多くの古典作品に“ヌレエフ版”を残しました。
彼がまず疑問を投げかけたのは、
「なぜ物語は、常にヒロイン中心なのか?」
という点です。
その疑問を解消するように『白鳥の湖』においては、オデット(白鳥)ではなく、王子ジークフリートの内面に物語の軸を置き直しました。
ヌレエフ版では、物語全体が
王子の孤独
迷い
夢と現実の境界
といった心理的な旅として描かれます。
また彼は、古典作品における男性ヴァリエーションを徹底的に見直しました。
たとえば『眠りの森の美女』のデジレ王子。
ヌレエフ版では、より華麗で、よりタフな構成へと改訂され、男性ダンサーの技術とスタミナ、表現力がこれでもかと試されます。
これは単なる自己主張ではありません。
女性優位の時代に失われかけていた男性が踊りで魅了する伝統を古典の中で復活させるための、明確な戦略だったのです。
最後に:現代の男性ダンサーへの影響
もちろん、グリゴローヴィチやヌレエフ以外にも、同様の試みを行った振付家は数多く存在します。
彼らの積み重ねによって、クラシック・バレエの世界は大きく変わりました。
古典作品においても、男性ダンサーの技巧は女性と対等、あるいはそれ以上に重要な要素となりました。
男性はもはや「支えるだけのパートナー」ではありません。
物語の心理的な軸を担う“表現者”として、ストーリーへの深い理解とコンタクトが求められるようになったのです。
もちろん、作品本来の主役が女性であれば、男性が二の次になりやすい現実は今もありますし、「バレエ=女性の芸術」というイメージが完全に覆ったわけでもありません。
それでも、彼らの功績によって、もともと男性のものだったバレエは、女性優位の時代を経て、最終的に男女が技巧と表現の両面で輝く芸術へと進化したと言えるでしょう。
