前に『くるみ割り人形』の「アラビアの踊り」の最後のタンバリンの一音が、バレエ全曲版と演奏会用組曲版で異なる話をしましたが、他に違いがあれば教えてほしい!という要望を受けたので、もうひとつ明確な違いをお伝えしたいと思います。
その違いは「金平糖の精の踊り」の中で、演奏会用組曲版については終盤がカットされているというものです。
あまり気にするところでもないですが、もしこのことを知らなければ、例えば
バレエの発表会で「金平糖の精の踊り」を踊ることになって、深く考えず組曲版のCDを買ったら、終盤のテンポが速くなるところがなかった!(泣)
という困った事態にもなるので、一応知っておいて損はないでしょう♪
「金平糖の精の踊り」のバレエ全曲版と演奏会用組曲版の違い
まあ、別記事にある「アラビアの踊り」のタンバリンの一音の違いに比べれば、今回の「金平糖の精の踊り」の違いについては明確です。
具体的には、テンポが上がるところ、音楽用語の速度表示Presto以降が削除されています。
バレエで言えば、金平糖の精がマネージュを始めるところですね。
バレエ全曲版
ではカットされていないバレエ版から動画で見てみましょう!
最後のテンポアップしているところからは、爽快に音楽が走り始めますよね。
踊り的には、前半後半で動きが目まぐるしく変わるところにメリハリがあって、視覚的にもダイナミックな効果があります。
演奏会用組曲版
次に演奏会用組曲版ですが、速くなる箇所からはカットされていて、どこか幻想的で神秘性に富んだ終わり方になっています。
いい具合にして、曲を途中で完了させていますよね!
バレエ全曲版しか知らない人には肩透かしを食う終わり方かもしれませんが、逆に組曲版しか知らない人はバレエ全曲版を聞いて続きが始まってビックリしてしまうらしいです(笑)。
違いをスコアでも確認しておこう
それではスコアでも確認しておきましょう!
バレエ全曲版
譜面には終止線(曲の終わりを表す右が太くて左が細い縦の複線)がなく、フェルマータがあって曲が続くことを示す表記になっています。
次のページにはPrestoの記号があって、見るからに速度が急上昇した譜面になっていますよね。
演奏会用組曲版
一方、演奏会用組曲版は、しっかりと終止線が書かれており、明確にここで曲を終了するように指示しています。
弦楽器のピッチカート(指で弦をはじく奏法)で軽やかに終わる感じになっていますね。
どうして終盤をカットした!?
このチャイコフスキー自らがカットした理由については残念ながらわかっていません。
いくつか理由が考えられますが、2点に絞ってご紹介します。
組曲版の初演時には時間的な制約があった
演奏会用組曲は、実は全幕上演の前に急遽発表されました。
演奏会で新作を発表してほしいとの依頼があって、多忙だったチャイコフスキーは、急場しのぎ的にバレエとしては未完成だった『くるみ割り人形』の曲を一部使うことにしたのですね。
ただバレエ音楽を演奏会用に編み直す際、全体の演奏時間を調整する必要が生じることがあります。
特に、組曲版でラストに持ってきている「花のワルツ」は、長めの曲であり、かつ楽曲全体の中で最も華やかな曲です。
この「花のワルツ」を生かすために、「金平糖の精の踊り」のヴァリエーションの終盤をカットすることで、組曲全体の時間的なバランスを整えようとした可能性があります。
音楽的な配慮で「金平糖の精の踊り」の曲想を統一した
「金平糖の精の踊り」はチェレスタという楽器の使用もあり、夢幻的で繊細な音色が特徴です。
終盤のテンポアップ部分は雰囲気が大幅に変化するため、踊りが伴っていればともかく、演奏会形式では統一感がなくなると判断したのかもしれません。
終盤のテンポアップ部分はドラマティックではありますが、人によってはやや唐突に感じられる場合があるため、曲想を考えて削除されたかもしれませんね。
もっともバレエ全幕上演でも終盤をカットすることはある
ただしバレエの全幕上演でも、振付家が自分の美的観点から、意図的にカットしている時もあります。
代表的なのがロシアのマリンスキーバレエ団が採用しているワイノーネン版ですね。
ワイノーネン版では、振付を音楽の緩やかな部分に焦点を当てており、金平糖の精の優雅さや気品を際立たせることを重視しているのでしょう。
チェレスタの魅惑的な音の流れを生かす理由もあって、終盤のテンポアップ部分は、自身の演出スタイルにそぐわないと判断したのかもしれませんね。
「金平糖の精」のおさらい
ここでバレエ鑑賞初心者のために、一応「金平糖の精」をご紹介しておきますね。
簡単に言えばバレエ『くるみ割り人形』の第2幕で、お菓子の踊りの最後に出てくる女王(偉い人)です。
上の動画にあるグラン・パ・ド・ドゥの女性ヴァリエーションはコンクールでお馴染みですし、チェレスタという当時まだ珍しい楽器を効果的に使った曲としても有名ですね。
衣装に包まれながらも、お菓子の国のトップとしての品格も備えた踊りで、これを見るために劇場に足を運ぶ観客がいるといっても過言ではないぐら作品のハイライトです。
バレエを全く知らない方は、まあ、日本で言う邪馬台国の卑弥呼だと思っていただければ間違いありません(笑)
最後に
『くるみ割り人形』のバレエ全曲版と組曲版には、音符の配置や強弱記号など、普段は気づきにくい細かな違いがありますが、「金平糖の精の踊り」のヴァリエーション終盤のカットは、比較的目立つ部分です。
こうした違いを知っていると、バレエ鑑賞の際に作品の魅力を一層深く味わうことができますし、知識として押さえておくと、新たな発見があるかもしれません。
また、発表会やコンクールで踊る方にとっても、有益な情報として活用いただければと思います。