『白鳥の湖』で”バッドエンド”を求める人たち──悲劇のカタルシスとは!?
『白鳥の湖』といえば、皆さんはどんな結末を思い浮かべますか?
王子とオデットが悪を倒して結ばれるハッピーエンドでしょうか??それとも、二人が命を落とす悲劇でしょうか??
以前の記事でもご紹介しましたが、実は『白鳥の湖』には、決まった結末がありません。
バレエ団や振付家によって、ハッピーエンドになったり、悲劇になったり、あるいはその中間のような結末になったりします。
そして、バレエファンの中には「ハッピーエンドよりも悲劇の方が好き」という人も少なくありません。
今回は、そんな人たちが魅力を感じる「悲劇のカタルシス」についてご紹介します。
ハッピーエンドは改悪という主張
『白鳥の湖』について調べていると
「ハッピーエンドは改悪だ」
という意見を目にすることがあります。
もちろん、これは全ての人がそう考えているわけではありません。
ただ、そのように考える人たちには理由があります。
それは、1877年の初演時の台本が悲劇だったからです。
初期台本では、王子ジークフリートはロットバルトの策略によって取り返しのつかない過ちを犯し、最後はオデットとともに破滅へ向かいます。
現在広く上演されているハッピーエンドの多くは、その後の改訂版や20世紀の演出によって広まったものです。
そのため
「本来の『白鳥の湖』は悲劇だった。」
「後から付け加えられたハッピーエンドより、悲劇の方が作品の本質に近い。」
と考える人もいます。
もちろん、ハッピーエンドが好きな人もたくさんいますし、どちらが正しいという話ではありません。
これは作品の解釈の違いと言えるでしょう。
(上の動画は、誰も救われないパトリス・バール版)
「悲劇のカタルシス」とは
ところで、なぜ悲しい結末を好む人がいるのでしょうか??
その答えとしてよく語られるのが、「カタルシス」という考え方です。
カタルシスとは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが『詩学』で述べた概念で「浄化」や「解放」と訳されます。
悲劇を見ることで
「かわいそうだ」
「自分も同じ立場だったらどうなっていただろう」
という憐れみや恐れを感じ、それらの感情を最後まで味わい切ることで、心が浄化されるという考え方です。
ここでいう「浄化」とは、悲しい出来事を忘れることではありません。
むしろ、悲しみや切なさを受け止めたうえで、深い感動へと変わることを意味します。
現代風に言えば
「落ち込んでいるときにあえて重い映画や泣ける作品を観て、思い切り泣いたあとに心が軽くなる現象」
の元祖と言えます。
だからこそ、人は涙を流しながらも、「いい作品だった」と感じることがあるのです。
『白鳥の湖』のカタルシス
『白鳥の湖』は、まさに悲劇のカタルシスを味わえる作品です。
愛し合っているのに結ばれない。
過ちを犯した王子は、その結果から逃れられない。
悪を前にして、人間の力だけではどうにもならない。
こうした「報われない愛」や「運命の残酷さ」は、古くから多くの悲劇で描かれてきたテーマです。
さらにチャイコフスキーの音楽は、美しい旋律の中にどこか切なさや諦めを感じさせます。
そのため、「この音楽には悲劇の方が似合う」と感じるファンも少なくありません。
面白いのは、カタルシスは必ずしも「救い」があることではないという点です。
作品全体が一貫して悲劇として描き切られていると、「これ以上ないほど美しい悲劇だった」と深い満足感を覚える人もいます。
これもカタルシスの一つなのです。
オススメ? 徹底した悲劇ならヌレエフ版
「悲劇の『白鳥の湖』を観てみたい。」
そう思った方におすすめなのが、ルドルフ・ヌレエフ版です。
ヌレエフ版は、王子ジークフリートの心理を深く掘り下げた演出が特徴で、夢と現実が入り混じる独特の世界観の中、物語は救いのない結末へ向かいます。
「誰も救われない。」
「見終わった後もしばらく引きずる・・・。」
そんな絶望好きにはピッタリの!?徹底した悲劇です。
決して万人向けではありませんが、「悲劇のカタルシス」を体験したい方には、一度は観ていただきたい版と言えるでしょう。
最後に
『白鳥の湖』には、「正しい結末」はありません。
ハッピーエンドに心が温まる人もいれば、悲劇だからこそ深い感動を覚える人もいます。
結局のところ、『白鳥の湖』が150年近く愛され続けている理由は、一つの結末に縛られない懐の深さにあるのかもしれません。
もし皆さんが『白鳥の湖』を観る機会があれば、「この作品はどんな結末を選び、なぜその結末にしたのだろう?」という視点でも楽しんでみてください。
きっと、これまでとは違った『白鳥の湖』の魅力が見えてくるはずでしょう。
