『白鳥の湖』は第2幕だけでも成立する?――蘇演版初演一年前の先行上演から見えてくるバレエ・ブランの凄さ
バレエ団の公演や発表会で、『白鳥の湖』の第2幕だけが上演されることがあります。
「第2幕だけ抜粋なんて、第九の4楽章だけをやるもんじゃないか!」
と思う人もいるかもしれません。
ところが、歴史をたどってみると、これは実は決しておかしなことではありません。
実は現在の『白鳥の湖』の基礎となった1895年の蘇演版が登場する前年、1894年に第2幕の湖畔の場面だけが先行して上演されているのです。
それはチャイコフスキーの追悼公演の一環として行われたものでした。
1895年版の前年、まず「湖畔」が舞台に登場!
チャイコフスキーが1893年に亡くなった後、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場では『白鳥の湖』の蘇演に向けた動きが進んでいました。
そして1894年2月、チャイコフスキー追悼公演のプログラムの一部として、『白鳥の湖』の湖畔の場面が上演されます。
振付を担当したのはレフ・イワーノフ。
そして主演バレリーナも、蘇演版で主役を演じることになるピエリーナ・レニャーニでした。
これが、翌1895年にマリウス・プティパとイワーノフによって作られる有名な蘇演版へとつながっていきます。
つまり1895年の『白鳥の湖』は、いきなり全幕の新演出版として姿を現したわけではありません。
その前年には、まず「白鳥たちのいる湖畔の世界」だけが舞台に登場していたのです。
なぜ第2幕だけでも『白鳥の湖』として成立するのか?
では、なぜ第2幕だけでも一つの舞台として成立するのでしょうか。
その大きな理由が、なんといってもバレエ・ブラン(白いバレエ)です。
夜の湖。
白い衣装をまとった白鳥たち。
月明かりの幻想的な舞台。
そしてチャイコフスキーの音楽。
そこにオデットとジークフリート王子が現れ、二人の出会いと愛が描かれます。
第2幕には、『白鳥の湖』を象徴するものがほとんどすべて詰まっています。
白鳥たちの群舞、オデットの美しさ、王子とのグラン・アダージョ、そしてロットバルトの不穏な存在。
物語としては全体の途中なのに、この一幕だけで「白鳥の湖」という世界が完成しているのです。
「踊りそのもの」が美しい
そして、ここがバレエ・ブランの魅力です。
白鳥たちの群舞を見ていると「このあと物語がどうなるのだろう?」ということだけではなく
「この踊りをもっと見ていたい」
という気持ちになってきます。
白鳥たちが一斉に腕を動かし、隊列を変え、音楽とともに舞台を満たしていく。
そこでは、踊りは物語を説明するための手段ではありません。
踊りそのものが単体で存在しているのです。
だからこそ、第2幕は「全幕の一部分」でありながら、それだけで一つの作品のように成立するのではないでしょうか。
そして1894年の先行上演は、まさにその魅力を全幕に先駆けて観客に見せる機会にもなりました。
『くるみ割り人形』にも「先行公開」があった
ここで、同じチャイコフスキーの『くるみ割り人形』を思い出すと面白い共通点があります。
『くるみ割り人形』も、バレエ全幕の初演に先立って、作品の音楽の一部が先に世に出ています。
チャイコフスキーはバレエから選んだ曲を組曲にまとめ、1892年、全幕初演に先立って演奏会で発表しました。
つまり
<『白鳥の湖』>
→ 全幕蘇演に先立って、湖畔の場面を先行上演
<『くるみ割り人形』>
→ 全幕初演に先立って、組曲を先行発表
となり、どちらも作品全体を披露する前に、その魅力の一部を先に観客へ届けています。
『くるみ割り人形』では、まず音楽の魅力を聴かせる。
『白鳥の湖』では、まず白鳥たちの踊りの魅力を見せる。
そう考えると、とても興味深いですよね。
そして、のちの「抽象バレエ」へ
さらに面白いのは、この「湖畔の場面」は20世紀の「抽象バレエ」にもつながっていくことです。
第2幕の白鳥たちを見ていると
「物語がなくても、この踊りだけで成立する」
ということがわかります。
つまり、イワーノフの『白鳥の湖』からフォーキン、そしてバランシンへとつながったと見ることができるのです。
もちろん歴史を直線的に見るような考え方は慎重になる必要がありますが、物語からある程度自立して、音楽・身体・空間そのものの美しさを楽しませるというバレエの可能性は、19世紀後半の『白鳥の湖』にもはっきりと見ることができると言えるでしょう。
20世紀に入ると、フォーキンらによってバレエの表現はさらに広がり、やがてバランシンによって、物語を持たず、音楽と身体の関係そのものを前面に出す抽象的なバレエも発展していきます。
その大きな流れを考えると、白鳥たちの群舞が持つ「踊りそのものの美しさ」は、とても興味深い存在です。
「第2幕だけの白鳥の湖」は、そんなに変じゃない
こうして考えると、現在のバレエ団や発表会で第2幕だけを上演することも、ただハイライトだけを抜け出したという訳ではありません。
全幕作品の一部を取り出しているのは事実ですが、歴史を振り返れば、1895年の蘇演の前年に、実際に第2幕の湖畔の場面だけが先行して舞台に乗せられているのです。
そして、その場面は一つの世界として十分に成立するほど美しい。
だから「第2幕だけの『白鳥の湖』」は、単なる短縮版ではありません。
『白鳥の湖』がもともと持っている、バレエ・ブランの自立した美しさを味わう上演方法
と言えるのではないでしょうか。
全幕の物語を知らなくても、白鳥たちが舞台に現れた瞬間、そこにはもう『白鳥の湖』の世界が広がっています。
1894年、全幕蘇演に先立って湖畔に現れた白鳥たちは、まさにそのことを証明していたのかもしれません。
