今回はチャイコフスキーが『くるみ割り人形』の中で
音楽の調性とストーリーの流れを連動させて作曲している
ことをお話ししたいと思います。
調性は、ハ長調やト長調など、ひとつの主音(中心音)を基に構成されている音楽体系ですが、チャイコフスキーは物語の構成を調性とうまく関連付けて『くるみ割り人形』を作曲しています。
『くるみ割り人形』の音楽構成を知っていると、バレエの鑑賞にはもちろん、踊りや振付の参考になるので、ここではスコアの動画などを通してわかりやすく紹介したいと思います。
「物語の構成」と「調性の配置」の関係性について
まず冒頭の序曲では、変ロ長調(♭2つ)で始まります。
それから第1幕のラスト「雪片のワルツ」でホ短調(♯1つ)からホ長調(♯4つ)に移り、そのまま第2幕の冒頭まで入ります。
そして第2幕の最後、クララが最後に現実世界に戻る時には、再び冒頭の序曲と同じ変ロ長調(♭2つ)に戻ります。
ざっくり言うと
変ロ長調⇒ホ短調/ホ長調⇒変ロ長調
という流れになっていて
現実世界:変ロ長調
夢の世界:ホ長調
という調性の区分がなされているわけですね。
「変ロ長調」と「ホ長調」は対極にある調性
ここで挙げた変ロ長調とホ長調は、チャイコフスキーが気まぐれに選択した調性ではなく、ちゃんと意味があります。
この2つの調性は
「五度圏」の中では対極に位置している
ものなんですね。
つまりお互いがもっとも離れた調性ということです。
と言っても、どう離れているかよくわからない人もいるので、下にある五度圏表でイメージをつかんでもらえればと思います。
細かい音楽理論は脇に置いとくとして、この五度圏表でちょうど正反対の場所にあることがわかると思います。
チャイコフスキーは現実世界と夢の世界の違いを表現するために、あえてもっとも離れた調性を使っているのですね。
さきほどの
変ロ長調⇒ホ短調/ホ長調⇒変ロ長調
の流れでもって、クララがお菓子の世界に行って戻ってくることを見事に表現しています。
この音楽構成を知らなくても、観客には最後の終結部で現実の世界に戻ってきたと無意識に(心のどこかで)感じさせる効果があるので、このような調性の配置は見事なものでしょう。
終曲では、陰でチェレスタが鳴っている!
ここまではよく言われることで知っている人もいるかもしれませんが、一つ重要なこととして、ラストの曲(アポテオーズ)の中にチェレスタが混じっていることです。
チェレスタは「金平糖の精の踊り」で使用され、第2幕では金平糖の精の登場シーンなどでも使われおり
チェレスタ=金平糖
という図式となっています(基本的に)。
最後に現実世界に戻ったときは、調性も変ロ長調に戻っていますが、夢の世界の女王というべきチェレスタが、現実世界に戻ったはずの調性の中で聞こえてくるのは素敵ですね。
まるで、現実世界に戻っていったクララのことをいつまでも見守っているようですし、クララも金平糖の精のような品格のある立派な大人になることが暗示されているようで、個人的にはこの最後のチェレスタがメロディーラインのうらで、チラチラと輝くように鳴っているのが好きです。
チェレスタというと、どうしてもグラン・パ・ド・ドゥの女性ヴァリエーションでしか注目されない楽器ですが、この終結部のチェレスタの音色も、ぜひ注目して(よく聴いて)舞台で味わってもらいたいところです。
最後に
チャイコフスキーが『くるみ割り人形』の中で見せた調性配置の妙技をご紹介しましたが、物語の進行と調性配置に一貫性があるので、やはりバレエは全曲を通して見たり聴いたりすべきということですね。
オーケストラ関係者の方は演奏会用組曲しか聴いてない人も多いし、バレエのレッスンをしている人も、意外に全幕を見ることは少ないです。
チャイコフスキーの作曲の意図を深く理解するためには、全曲(全幕)を通して見る必要があるので、『くるみ割り人形』が上演される12月にはぜひ劇場に行って舞台を観賞してみましょう!