2024年1月1日にロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに行きピーターライト版『くるみ割り人形』を見てきました。
個人的に大のお気に入りの作品で、今までDVDがすり減るほど見てきましたが、生で見ると新しく発見することも多く、非常に楽しめて勉強にもなりました。
そこで今回はピーターライト版『くるみ割り人形』の特徴を5つに絞ってご紹介したいと思います。
ロイヤル・バレエ団が踊る『くるみ割り人形』の動画も載せてありますので、これからロイヤル・オペラ・ハウスに行く方や、バレエ教室の発表会の練習の参考にしていたければ幸いです。
ドロッセルマイヤーの視点で描かれる物語
ほとんどの『くるみ割り人形』のヴァージョンでは、物語の視点はクララとなっていますが、ピーターライト版では、明確にドロッセルマイヤーの視点で物語られています。
冒頭の序曲の部分では、演奏のみでなくドロッセルマイヤーが出てきて、自分のせいで甥のハンスがネズミの女王によってくるみ割り人形に変えられてしまったことが示されます。
甥のハンスが元の人間に戻るには、人形に変えられた彼を深く愛してくれる女の子が必要であるということで、まあ、『眠りの森の美女』の逆パターンというか、ちょっと
「謎設定」
なのですが、一応このように
ドロッセルマイヤーがクララを利用して、くるみ割り人形に変えられた甥のハンスを人間に戻す
物語となっています。
これはよりE.T.A.ホフマンの原作に近づけた設定で、他のヴァージョンに見られるようなドロッセルマイヤーが風変わりなおじさん設定になっていることは避けることができていますし、従来の「クララの夢落ち」設定からも脱却はしています。
物語に首尾一貫性があり、踊り以外の演劇的要素も入っていいのですが、人によっては
ドロッセルマイヤーが1人の少女をだまして、くるみ割り人形(甥のハンス)を好きになるように仕向けた「恋愛詐欺」の物語
に見えなくもありません(笑)
またこのドロッセルマイヤーはどうやら手品だけでなく魔法(魔術?)も使えるようで、正直ネズミの大群なんか彼の魔法で一掃できるじゃないかと思うぐらいのシーンもあります。
でも、ドロッセルマイヤーが不純な動機の持ち主とは言え、他のヴァージョンよりは物語性を獲得できているので、その点では評価されるべきでしょう。
謎の「クリスマスエンジェル」が登場する
ドロッセルマイヤーが魔法を使えると言えば、ピーターライト版ではクリスマスエンジェルという従来のヴァージョンに見られないキャラクターが出てきます。
設定としてはドロッセルマイヤーのクララを夢の世界に引っ張り込む手段を擬人化したような存在なのですが、このキャラクターを理解しておかないと、いきなり登場してクララをただ当惑させるだけのキャラクターに見えなくもありません。
序曲の時に、ドロッセルマイヤーがクリスマスエンジェルの人形を持って、クララを恋愛詐欺に仕掛けようと息巻いている仕草があるので、気をつけて見てみてください。
ちなみにこのクリスマスエンジェルは、ロイヤル・バレエ学校の生徒さんが演じることが多いみたいです。
クララとくるみ割り王子が夢の国に向かう最中にも登場するので、ダンサーの卵を応援する気持ちで見ていただければと思います。
非常に「演劇的な要素」が濃い演出・振付
さすがシェークスピアを生んだ国なのか、ピーターライト版の『くるみ割り人形』は演劇的な要素を強く感じる部分が多いです。
たくさんありますが、ここでは特に2つの部分に絞って紹介します。
1幕の演技(マイム)が細かい
派手な踊りもなく時として退屈と言われる第1幕ですが、このピーターライト版は退屈することはありません。
登場人物のマイムが細かくて、まるで声ならぬ声が聞こえてくるようで
演劇以上に演劇的
です。
『マノン』や『ロミオとジュリエット』などのドラマティックバレエでもロイヤル・バレエ団は有名ですが、こういった踊り以外の演技やマイムの表現力がないと、ここではやっていけないのでしょうね。
また、ロンドンの観客もそういう演劇性のあるバレエを楽しむ傾向があるのでしょう。
舞台設定も明確にニュルンベルクとしてあり、背景や室内の調度品からもクリスマスパーティーの雰囲気だけでなく、もはや屋外で開催しているであろうクリスマスマーケットさえイメージできる作品となっていますよ。
2幕の「くるみ割り王子」が雄弁なマイムで一人芝居する
多くのヴァージョンでは、2幕の始めの方に、ねずみの残党が出てきて最後のとどめを刺される場面が出てきますが、ピーターライト版の場合はくるみ割り王子が
「クララのおかげで、私はねずみの王様を倒すことができました!で、くるみ割り人形から人間に戻ることができました!」
という武勇伝を披露するマイムになっています。
この場面は踊りも多少ありますが、基本的にはマイムのみでの一人芝居なので、かなりの表現力を要求されることになり、ある意味ダンサーにとって最も難しい場所かもしれません。
バレエ作品なのに、大きな動きを見せずマイムだけで劇場の空間を支配しなければならないのは、演技性を重んじるイギリスならではの秀逸な場面と言えるでしょう。
2幕のディヴェルティスマンで、踊りにクララ達も加わる
クララとくるみ割り王子たちは、2幕で金平糖の精たちとスモールトークをした後は、各国の踊りであるディヴェルティスマンを、座ったまま動かず楽しむのが一般的な演出です。
が、ピーターライト版では、クララとくるみ割り王子たちは、思わず
「落ち着いて座って見ていられないのか!?」
とツッコミたくなるぐらい、各国の踊りに加わり踊り始めます。
下の動画を参考に見てみてください。
花のワルツでさえ混じって踊るので、クララは1幕から常に出ずっぱりになり、けっこうクララ役は体力勝負のような気もしますね。
いろんなキャラクターダンスに興味を持つだけでなく踊りにも加わるので、クララ達がお菓子の国を心底楽しんでいることが表現されていると言えるでしょう。
まあ、人によってはせっかくの個性的な踊りを邪魔しているように見えると思う方もいるかもしれませんが、ディヴェルティスマンを別個の独立したものとして扱わず
「物語の連続性」としての位置付け
にしているのは、演劇的要素を大事にするイギリスらしい演出と感じます。
音楽の改変について
『くるみ割り人形』の曲順を大幅に変えて、ストーリーもガラっと変える前衛的な演出の『くるみ割り人形』もありますが、ピーターライト版では曲の順番は変えておらずオーソドックスです。
ただ日本のバレエ教室の発表会で幼児クラスの生徒がよく踊る「ジゴーニュ小母さんと道化たち」はカットされています。
まあ、ピーターライト版に限らず多くのヴァージョンでカットされがちなのですが、各国の個性ある踊りが続いた後だと、「ジゴーニュ小母さんと道化たち」は民族としての特徴があまりなく趣向が違ってしまうので、踊りの性質上はずされることが多いパートです。
また、終幕直前に、ドロッセルマイヤーとくるみ割り人形から人間に戻った甥のハンスとの再会シーンを設定している都合上、ラストの曲は少し長めに改変されています。
そんなに違和感はないので見ていて気づく人は多くないと思いますが、ドロッセルマイヤーを視点にした一貫性の物語を作るために、さりげなく曲に工夫を加えていることがわかります。
余談ですが、実はチャイコフスキーはディヴェルティスマンの各国の踊りとして、当初はイギリスの曲として「ジーグ」もピアノスケッチまで作曲しているのですが、こちらは使用していませんでした。
イギリスの他のバレエ団でオーケストラ用に編曲して踊られることもあるのですが、ピーターライト版ではありません。
最後に
ピーターライト版は曲の順番や従来の伝統的なストーリー形式は大きく変えず、比較的オーソドックスなヴァージョンと言えます。
ただやはり演劇の国のためか、マイムが細かかったり、物語性を重視していたりと演劇的要素を重んじていると感じます。
そんな違いを感じながら鑑賞すると、新しい発見があって『くるみ割り人形』をより楽しめますよ♪
ぜひDVDや、ロンドンのコヴェントガーデンでの鑑賞に役立てていただければと思います。