バレエ『白鳥の湖』のマイム――第2幕でオデットは何を「話して」いるのか?
『白鳥の湖』第2幕、湖畔で出会ったオデットとジークフリート。
二人が向かい合うと、オデットは手を動かしながら、何かを一生懸命に伝え始めます。
バレエを初めて見た人からすると
「オデットはいったい何を話しているんだろう?」
と思うかもしれません。
実はここでオデットは、自分の身の上をマイムによってジークフリートに伝えているのです。
第2幕でオデットは何を「話して」いるのか?
このシーンですが、オデットは、自分が王女であること、魔法使い(ロットバルト)によって白鳥に姿を変えられたこと、そしてこの湖にまつわる悲しい運命などを、言葉ではなく身体を使って説明しています。
では、実際の映像を見てみましょう。
映像を見ていると、オデットはかなり具体的な「会話」をしていることが分かります。
この身振り手振りで相手に意思を伝えるマイムという表現は、一般的に踊りではなく演技の部類に入るでしょう。
ただしパントマイムと違って、バレエの身振り手振りは、その所作の美しさからもわかる通りもはや「踊り」と言っても過言ではなく、実際に何を話しているかわからなくても、そこには美が宿っています。
そこがたんなるジェスチャーとは違うところで、バレエのマイムは独特な美的側面を持っていると言えます。
オデットのマイムを日本語にすると……
載せてある動画にも英語の字幕があり、会話の内容がわかりますが、少し整理しておきましょう。
なお、演出によってはストーリーの流れに若干違いがあるので、それに合わせてマイムも少し版によって異なったりします。
ここでは代表的なものを一覧にしておきますね。
| マイム | 具体的な動作 | 日本語にすると |
|---|---|---|
| 「私」 | 片手を胸に当てる | 「私」 |
| 「王・王女/女王」 | 両手を頭の上に上げ、王冠をかぶっているような形を作る | 「私は王女(女王)です」 |
| 「白鳥」 | 両腕を左右に広げ、羽ばたくように動かす | 「私は白鳥です」 |
| 「あそこ」 | 腕を伸ばして、舞台奥の湖の方向を指し示す | 「あそこを見てください」 |
| 「湖」 | 少し前かがみになり、両手を細かく上下させながら横に動かし、湖面の波を表す | 「あの湖は……」 |
| 「私の」 | もう一度、自分の胸を指す | 「私の……」 |
| 「母」 | 両腕を胸の前で丸くして、赤ん坊を抱くような仕草をする | 「母」 |
| 「泣く/涙」 | 指を目の下から頬に沿って下ろし、涙が流れる様子を表す | 「涙」 |
| 「あそこに」 | 今度は別の方向、舞台奥のほうを指し示す | 「あそこに……」 |
| 「邪悪な者/魔法使い」 | 両手を頭の上に置き、指を角のように立てるなど、悪魔・魔法使いを表す仕草 | 「邪悪な魔法使いが……」 |
| 「白鳥」 | 再び両腕を羽のように動かす | 「私を白鳥にしました」 |
| 「でも」 | 右手の人差し指を立て、手のひら側を相手に向けて前へ差し出す | 「でも……」 |
| 「1人」 | 右手の人差し指を1本だけ立て、今度は手の甲を相手に向けて差し出す | 「1人の男性が……」 |
| 「愛する」 | 両手を胸の上で交差させ、心臓を包むようにする | 「私を愛して」 |
| 「結婚する」 | 左腕を前に伸ばし、右手の人差し指で左手の薬指を指す | 「私と結婚して」 |
| 「誓う」 | 左手を胸に当て、右手は人差し指と中指の2本を立てて頭上へ上げる | 「愛を誓って」 |
| 「白鳥ではなくなる」 | 白鳥を示す動作から、人間の姿に戻ることを身体全体で表現する | 「そうすれば、私は白鳥ではなくなります」 |
マイムもバレエの表現手段の一つ
現代の私たちは、バレエというと音楽に合わせて「踊る」と考えがちです。
そのため、ダンサーが立ち止まって身振りをしていると「ここは踊りではなくお芝居の箇所」と思ってしまいます。
しかし、19世紀以前のバレエにおいてマイムは、物語を進めるための重要な表現手段でした。
19世紀のマイムは身振りによって物語を伝えるために使われ、ある程度体系化された「身体の言語」でした。
だから
「マイム=バレエ表現ではない」と考えるのは、正しくありません。
「踊りとは別の方法で、身体を使ってバレエをしている」と考えたほうがいいでしょう。
実際にロマンティックバレエ時代は、今よりもマイムの占める割合が多く、『ラ・シルフィード』や『コッペリア』を見ていても、古典バレエよりだいぶマイムのシーンが多いことがわかります。
このマイムを「踊り」に変えてしまう版もある!
現在上演されている『白鳥の湖』には、さまざまな版があり、中にはオデットが自分の身の上を説明するマイムを、踊りによる表現へ置き換えている版もあります。
セルゲエフ系の版では、この場面がマイムによる説明ではなく、オデットとジークフリートの動きや踊りを中心とした表現になっています。
次の2つの動画は本来マイムが始まる箇所に設定してありますので、確認してみてください。
この置き替えには賛否両論あるのですが、個人的にはマイムのシーンは、
シンプルなポール・ド・ブラの美しさを堪能する場面
のような気もするので、踊りに置き替えてしまうの気乗りしません。
こういったマイムの場面は日常に何気なく見られる所作でさえ、美に変えることができるということの大きな証明でもあるので、たんなる無言の会話劇と切り捨てずに、一つの踊りの場面としてマイムを残してもらいたいところです。
最後に――オデットは「踊っている」のか、「話している」のか?
『白鳥の湖』を観るとき、私たちはどうしても「バレエだから踊りを見る」という視点になりがちです。
でも、第2幕のオデットを見ると、バレエにはもう一つの「表現」があることに気づきます。
それがマイムです。
オデットはジークフリートに向かって
「私は誰なのか」
「なぜ白鳥になったのか」
「どんな運命にあるのか」
を、美しいポール・ド・ブラを駆使しながら伝えています。
会話でありながら踊りであり、思わず見入って(聞き入って)しまうバレエの醍醐味と言える場面でしょう。
そんな視点で見ると、バレエにおける「身体の言葉」の面白さが、また違った視線で見えてくるはずです。
