今回は『くるみ割り人形』の第2幕の「アラビアの踊り」についてのお話しです。
実はこの踊り、アラビアを銘打っておきながら、チャイコフスキーが元にした曲は
ジョージア(旧グルジア)地方の子守歌
なんです。
「全然アラビアじゃないじゃないか!」
とツッコミがありそうですが、まったく無関係とはいえない事情もあるので、そこら辺をポイントにしながらお話ししたい思います。
まずは「アラビアの踊り」を聴き直しておこう!
元になった子守歌を聞く前に、まずはチャイコフスキーの「アラビアの踊り」」曲を聴き直しておきましょう。
“Le Café “と名付けられており、コーヒーの精を象徴する踊りとなっています。
コーヒーはアラビア地方原産であり、イスラム教徒の間では健康に良いものとして重宝されていたことから、コーヒーが当てられています。
この曲の特徴としては、弦楽器に終始弱音器が使用されていることが挙げられ、音を柔らかく抑えることで内省的で静謐な雰囲気を作り出しており、これが「神秘性」や「異国情緒」を連想させる音楽的効果を生んでいます。
下の写真の左側が通常のヴァイオリンで、右側が弱音器をつけたものです。
この弱音器を本番で忘れて弾けなかった人が、あるアマチュアオーケストラのエキストラで出た時にいらっしゃいました(笑)
アラブ風の衣装をまとった女性の踊りを見ながらこの曲を聞くと、まさにアラビアンな曲に聞こえてきますよね。
そう考えると視覚(目から入る情報)は、人間が対象を認知する上で実に大きな割合を占めていると言えます。
元になった「ジョージアの子守歌」を聞いてみよう!
次に元となったジョージアの子守歌です。
「IAVNANA (იაავნანანა) : Georgian lullaby」
アカペラなのでメロディーがわかりやすく、すぐにあの「アラビアの踊り」の旋律だと気づきますよね!?
日本人的には
「なんか不気味だけど、これが子守歌??」
と思う人もいそうですが、「アラビアの踊り」に比べれば東欧の民謡風でアラブ色はあまり感じませんよね。
むしろキリスト教の儀式に出てくる詠唱のような雰囲気で、子供の気持ちを落ち着かせるような慈愛に満ちた曲です。
ちなみに、チャイコフスキーとも面識のあったロシアの作曲家イッポリトフ=イヴァノフも「コーカサスの風景」組曲第2番「イヴェリア」でこの子守歌を使用しいます。
下に動画を載せておきますが、4曲構成中の第2曲目ですね。
この曲はイッポリトフ=イヴァノフの『コーカサスの風景』の続編とも言える作品で、コーカサスはだいたい現在の「アゼルバイジャン」「ジョージア(グルジア)」「アルメニア」あたりの地域です。
ジョージア地方を代表するほど、この子守歌は地方特有の曲として認識されていたことがわかります。
なぜチャイコフスキーは「アラビアの踊り」にジョージアの子守歌を使用したのか!?
それでは、どうしてチャイコフスキーは「アラビアの踊り」にジョージアの子守歌を使用したのでしょうか??
それについて話す前に、まずジョージア(旧グルジア)の年譜を眺めてみましょう。
4世紀 – キリスト教を国教化。
6世紀 – 10世紀 サーサーン朝ペルシア帝国、東ローマ帝国、イスラム帝国(アラブ人)の支配下となる。
11世紀 – バグラト朝成立。
13世紀 – 14世紀 タタール、ティムールによる侵攻。
16世紀 – 18世紀 西部がオスマン帝国、東部はサファヴィー朝ペルシアの支配下となる。
1783年 – ギオルギエフスク条約によりグルジア東部はロシア帝国の保護領となる。
1801年 – ロシア帝国、グルジア東部を併合。ロシアはその後、併合を繰り返していく。
1878年 – 露土戦争の結果、アジャリアがロシア帝国に併合。現在のグルジアにあたる領域がすべてロシア帝国の版図に入る。1918年5月 – 前年のロシア革命を受けグルジア独立宣言(グルジア民主共和国)。
※出典:ウィキペディア
このジョージア地方がペルシア帝国・イスラム帝国・オスマン帝国など様々な国の支配を受けていたことがわかります。
そのためジョージアの伝統音楽は、多くの外部勢力の影響を受けつつも、それを独自の文脈で昇華してきたのでしょう。
「アラビアの踊り」で引用されたジョージア民謡が、少なからずアラブやペルシア文化のエッセンスの影響を受けてきたと考えられます。
チャイコフスキーが「アラビア」という名前を付けたのも、ジョージア民謡が持つこうした異国情緒(中東・アラビア的な響き)を感じ取ったからと言えるでしょう。
ジョージア人は「アラビアの踊り」をどう感じる?
『くるみ割り人形』が上演される際、「アラビアの踊り」を聴くジョージア人の心境はどのような感じなのでしょうか。
自国の子守歌を、『くるみ割り人形』では「アラビアの踊り」として使われたことに違和感を抱くジョージア人もいるでしょう。
ジョージアは独自の言語や文化、歴史を持つ国家であり、しばしば「ロシアや他の文化に吸収される」ことへの反発があります。
そのため、チャイコフスキーがジョージア民謡を使いながら、明確にその由来を示さず、むしろ別の地域(アラビア)の名前で提示したことには、植民地的・帝国的な文脈を感じる人もいるかもしれませんね。
一方で、たとえばジョージア国立バレエ団の芸術監督であるニーナ・アナニアシヴィリは
「チャイコフスキーは、トビリシ(ジョージアの首都)のオペラハウスの近くで滞在していた時期があり、トビリシをとても愛していました。ある日、聴こえてきたララバイ (子守歌)にインスピレーションを受けて (アラビアの踊りを) 作曲した というエピソードを聞いています。チャイコフスキーの 「くるみ割り人形」には、ジョージアに対する愛が感じら れるのです」
とコメントしていますので、自国の伝統民謡でもある子守歌を引用してくれたことに好意的である人も多いかもしれませんね。
最後に
「アラビアの踊り」は『くるみ割り人形』の第2幕のディベルティスマンの中でも、群を抜いて異国情緒を堪能できる曲です。
そんな曲にジョージアの子守歌を引用してくるなんて、チャイコフスキーの曲のアプローチ方法には舌を巻くばかりです。
次に「アラビアの踊り」を鑑賞する時は、このような視点もふまえながら見てもらえると、より深く音楽も踊りも味わうことできるでしょう。