バレエ『白鳥の湖』のハイライトといえば、第2幕(現在の一般的な3幕構成では第1幕第2場)のグラン・アダージョを思い浮かべる方も多いでしょう。
呪いによって白鳥の姿に変えられたオデットと、彼女に心を奪われたジークフリート王子。
二人が寄り添い、王子がオデットを優しく支えながら踊るこの美しいパ・ド・ドゥは、「愛のデュエット」とも呼ばれ、まさに『白鳥の湖』を象徴する場面です。

ところが、1895年の蘇演版の初演では、なんとこの場面を三人で踊っていたのです!
今回は現在ではあまり知られていない、グラン・アダージョの意外な歴史を見ていきましょう。

バレエ『白鳥の湖』第2幕 オデットと王子のグラン・アダージョの名旋律には意外なルーツがあった! 幻のオペラ《ウンディーナ》からの”再利用”『白鳥の湖』第2幕、オデットとジークフリート王子が踊る「グラン・アダージョ」。 二人の心が通い合っていく様子を表現したような、あの美し...

現代のグラン・アダージョは二人の愛を描く踊り

現在よく上演される『白鳥の湖』では、グラン・アダージョはオデットとジークフリート王子の二人によるパ・ド・ドゥとして知られています。
王子がオデットの身体を支え、彼女は腕や上半身をしなやかに動かしながら、繊細な感情を表現します。
二人の動きが音楽と一体になり、互いの心が少しずつ通い合っていくような印象を生み出します。

この場面で重要なのは、男性が女性を支える技術だけではありません。
王子のサポートによってオデットの動きが引き出され、彼女の不安や戸惑い、そして王子への信頼が、踊りを通して伝わってくるのです。

私たちが見慣れているのは、こうした二人の関係性を中心にしたグラン・アダージョです。
ところが、その構成が最初から当たり前だったわけではないのです。

1895年版では、なんと「パ・ド・トロワ」だった!

1895年、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で『白鳥の湖』が蘇演されました。このとき、第1幕と第3幕の振付をマリウス・プティパが担当し、第2幕の湖畔の場面を担当したのがレフ・イワノフです。

そのイワノフが振り付けたグラン・アダージョは、現在のようにオデットとジークフリート王子の二人だけで踊るものではありませんでした。
もう一人、ベンノ役(ジークフリート王子の友人)が加わり、三人で踊る「パ・ド・トロワ」だったのです!

【1895年版の振付をイメージした再現イラスト】 左:ベンノがオデットを高く持ち上げる。 右:ジークフリート王子(パーヴェル・ゲルト)が二人の踊りを少し離れたところから見守る。

三人で踊っていたことは、当時の振付記譜からも確認できます。
1906年4月から1907年4月にかけて作成されたステパノフ式の記譜には、1895年版の振付が記録されているのです。
現在「愛のデュエット」として知られるグラン・アダージョが、当初は三人で踊るパ・ド・トロワだったその意外な歴史が、100年以上前の記録から明らかになっています。

その後、ジークフリート王子役がパーヴェル・ゲルトからニコライ・レガートへと交代した時期に、グラン・アダージョはオデットと王子の二人によるパ・ド・ドゥへと変化したので、最初のうちはしばらく3人での踊りだったと言えるでしょう。

なぜ「パ・ド・トロワ」だったのか?

ここからは1895年版のグラン・アダージョが三人構成だった理由について、二つの可能性を考えてみたいと思います。
明確な理由が資料によって確認されているわけではありませんが、あくまで、当時の配役や振付の構成から考えられる仮説です。

その1:パーヴェル・ゲルトは当時”50歳”だった!

1895年版でジークフリート王子を演じたパーヴェル・ゲルトは、当時50歳でした。
現代の感覚では、王子役といえば若々しい男性ダンサーを思い浮かべるかもしれません。
恋人を軽々と持ち上げ、華麗なリフトを披露する姿は、クラシック・バレエの大きな見どころです。

『白鳥の湖』初演のパーヴェル・ゲルト

もちろん、パーヴェル・ゲルトが50歳だからといって、リフトができないわけではありません。
ゲルトは長いキャリアを持つベテランであり、舞台経験も豊富なダンサーでしたので、飛び回れることは難しかったにしても、サポートをまったくできなかったというわけでもないでしょう。

それでも、若いダンサーと同じような身体的負担を前提にするのは難しかった可能性があります。
ひょっとすると、もう一人の男性ダンサーであるベンノを加えることで、オデットを支える振付に幅を持たせていたのかもしれません。
そう考えると、ゲルトの年齢を考慮して3人での踊りになったと考えられますし、まあ、これはおそらく事実でしょう。
もっとも逆に言えば、それだけパーヴェル・ゲルトの信頼と人気は確かだったことの裏返しであるとも言えるかもしれません。

バレエ史のトリビア:「三大バレエ」の王子の初演を独占した男 パーヴェル・ゲルト(Pavel Andreyevich Gerdt)『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』…初演の王子は同じ人!どの分野の歴史にも、ちょっとした驚きのエピソードがあるものですが、バレエ史の中でもやはりトリビア的なものが存在します。 チャイコフ...

その2:高貴で理想的な女性を讃える、美意識

もう一つ考えられるのが、当時の舞台における女性の描き方です。
現在のグラン・アダージョは、オデットとジークフリート王子が互いの愛を確かめ合う、ロマンティックなデュエットとして受け取られています。
一方、1895年版の三人構成を想像してみると、少し違った印象が浮かび上がります。

ジークフリートとベンノは、二人でオデットを支え、その美しさや繊細な感情を引き立てる存在だったのではないでしょうか。
舞台の中心にいるのは、男性二人の情熱ではなく、二人に支えられるオデット。
男性たちは彼女の動きを支え、その存在をより美しく、印象的に見せる役割を担っていた――そう解釈することもできます。
そこに描かれていたのは、恋人同士が情熱をぶつけ合うような愛というよりも、高貴で理想的な女性を讃える、美意識に近いものだったのかもしれません。

最後に――変わったのは 人数 だけではなく「舞台上の関係性」

現在のグラン・アダージョは、オデットとジークフリート王子の愛を描く名場面として知られています。
一方で、その歴史をたどると、1895年版ではベンノを加えた三人構成だったことがわかります。

三人で踊る構成から二人のパ・ド・ドゥへ。
その変化によって、舞台上で強調される関係性も変わっていった可能性があります。

「愛のデュエット」は、最初から二人だけの踊りだったわけではない

この意外な事実を知ると、いつも見ているグラン・アダージョも、少し違って見えてくるのではないでしょうか。