どの分野の歴史にも、ちょっとした驚きのエピソードがあるものですが、バレエ史の中でもやはりトリビア的なものが存在します。
チャイコフスキーが遺した三大バレエ――『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』(1895年改訂版)。
この華やかな舞台で“王子”を初演したのは、実はすべて同じ人物であるというのはバレエファンの間ではよく知られていることです。
その人物の名はパーヴェル・ゲルト(Pavel Andreyevich Gerdt)。

気品と存在感で帝室劇場を支えた彼は、なんと45歳から50歳にかけて三大バレエの王子を演じ続けたのです。
技巧よりも貴族的な風格が重んじられた時代だからこそ実現した、このユニークな事実を今回はひもといていきましょう!
3大バレエの王子役の初演はすべて同一人物!
チャイコフスキー三大バレエ――『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』(1895年改訂版)。
前述したとおりこれらの作品で王子役を初演したのは、すべてパーヴェル・ゲルトという一人の人物です。
『眠れる森の美女』(1890年) → デジレ王子
『くるみ割り人形』(1892年) → コクリューシュ王子
『白鳥の湖』(1895年改訂版) → ジークフリート王子
一人のダンサーが三大バレエすべての「王子初演」を任されたのは、バレエ史の中でもきわめて目を引くエピソードですね。
当時のロシア帝室劇場における彼の立場の大きさを物語っています。
パーヴェル・ゲルトの初演時の年齢は!?
ゲルトは1844年11月22日生まれなので、初演時の年齢を計算すると以下の通りになります。
『眠れる森の美女』(1890年1月15日初演) → 45歳
『くるみ割り人形』(1892年12月18日初演) → 48歳
『白鳥の湖』(1895年1月27日改訂初演) → 50歳
驚くことに、彼が「帝室公式の王子」として舞台に立っていたのは、すでに中高年期に入ってから・・・。
“50歳のジークフリート王子”を演じたということになりますね!
お年を召していたのに踊れたの!?
「50歳の王子」と聞くと
果たして舞台で跳んだり回ったりできたのか!?
と疑問に思うかもしれません。
実は、当時の王子役の役割は必ずしも技巧を見せつけるものではなかったのです。
王子の主な役割としては、物語の顔として舞台に立ち、観客に気品と威厳を与えるのが大きな仕事でした。
そして、女性ダンサーを引き立てるリフトやサポートを中心にこなし、ソロがあっても何度も踊ることはなく控えめなものでした。
“踊る主人公”というより“舞台を統べる主人公”だったわけです。
現代の振付では王子のソロパートを増やしている舞台もありますが、3大バレエの初演時は舞台上で主役としての存在感を示し、女性ダンサーをサポートする側に回るのが中心だったので、パーヴェル・ゲルトも十分にダンサーとしての役目を果たせたと言えるでしょう。
改めてパーヴェル・ゲルトの略歴
ここで一応パーヴェル・ゲルトのざっとした目を通しておきましょう。
1844年 サンクトペテルブルク生まれ。
1860年代 帝室劇場に入団。やがてマリインスキー劇場の看板男性ダンサーに。
1870年代〜1890年代 帝室バレエの中心的プリンシパルとして活躍。王子役といえばゲルト、というほどの絶対的存在に。
1900年代 現役を退き、指導者として後進を育成。後のスターたち(ニジンスキーら)にも大きな影響を与える。
1917年 没。ロシア革命の年にその生涯を閉じました。
彼のキャリアは実に半世紀以上。
マリインスキー劇場の歴史そのものを体現した人物と言えそうですね。
ちなみに娘のエリザヴェータ・ゲルトも著名なバレリーナとバレエ教師として、歴史に名を刻んでいます。
最後に
三大バレエの王子初演を独占したのは、パーヴェル・ゲルトただ一人。
現在では王子役といえば超絶技巧が要求されますが、当時の振付は「演じる」ことが中心。
だからこそ50歳でも主役を任されたのです。
パーヴェル・ゲルトの存在を知ると、チャイコフスキー三大バレエを観るときの見方が変わりますよね。
私たちがいま「華やかなヴァリエーション」に目を奪われるその役柄は、もともと「舞台に立つだけで観客を圧倒する人物」にこそ与えられていたのですから。
パーヴェル・ゲルトの3大バレエ独占の史実は、まさにバレエ史の中で光るトリビアと言えるでしょう♪