コロナまだまだ勢いを増していますね・・・。
今回は前回の非常事態宣言の時に比べ、医療体制が比較的整っていることや、経済活動を考慮しているためか、非常事態宣言などはしていませんね。
まだまだ予断を許さない状況ですが、このコロナ騒ぎが始まった時、映画ファンである自分が真っ先に思い出したのが、今回ご紹介する映画『コンテイジョン』です。
概要
ジャンルとしてはウィルスの攻撃に人類が立ち向かうスリラー映画になるかもしれませんが、そこはさすがスティーブン・ソダーバーグで、ややドキュメンタリーに近い感じで映画は進んでいきます。
そのため映画の進行は淡々と進みます。
名作『アウトブレイク』のようなドラマティックな展開はありませんし、激しいアクションやラブストーリー要素も皆無です。
それでも、この映画のすごいところは科学的かつ疫学的な考証に基づいて正確に作られているところです。
それゆえに今のコロナ禍を予言しているかのように現実とマッチしているところがたくさんあります。
自分がずいぶん前に見たときは、映画の出来事は若干絵空事のように見てました。
すごく映画としてよくできてると感じましたが、あくまでもフィクションとして見ていて「まあ、こんなこと現実には起きないだろう」と思ってしまっていました。
だから映画を見直したとき、あまりにも現在の状況をそのまま描いているような内容で、そのインパクトは強烈でした。
ここでは、映画と現実との相違点を中心に見ていこうと思います。
現実との相違点
一致しているとこ
感染源はコウモリ
この映画のウイルスは、感染源をコウモリとしており、それが養豚場の豚を通して人に感染していったことになっています。
コロナウイルスも、最初はコウモリを起源として直接的あるいは中間動物を介してヒトに感染したものと考えられています。
その点で映画は現実と一致していますし、コウモリ→豚→人へとウイルスが移っていく過程が映像でも表現されています。
映画は重症急性呼吸器症候群(SARS)やニパウイルス感染症を元にしており、それらの感染源がコウモリであることを考えると、自然と映画も感染源が一致するのですが、映画の製作者たちは実際の症例を正確にリサーチしていると言えますね。
パンデミックの初期発生地は中国
映画は香港を初期発生地に設定していますが、コロナの場合は武漢となっています。
そこらへんも映画がSARSを元にしているせいか一致しています。
また、最初にウイルスが人間から人間に移ったのは、香港のレストランの料理人が感染した豚の調理をしていたのに、手を洗わずに他人と握手したことになっています。
中国に行った方はよくわかると思いますが、中国の衛生観念は日本に比べかなり低いです。
どうしても日本の都市と比べると、道路は汚れているし、いまだに道に痰を吐く光景もよく見かけます。
香港はまだましとは言え、映画はこういう現実を反映しているとも言えます。
ちなみに映画では、中国当局が感染源を自国と認めようとしないシーンが出てきますが、これも現実のとおりですね。
中国政府はウイルスはアメリカから持ち込まれたものだと主張して責任を回避しようとする言動が目立った時期がありました。
感染が広がりを見せていたのに早く世界に危険性を発信しなかった落ち度を隠すために、責任をなすりつけようとしているのですが、こういう論理で自国の正当性を主張していくのは中国外交によく見かける方策です。
ウイルスの広がりは、森林開発による環境破壊のつけ
中国のことを不衛生な国と言いましたが、ウイルスの広がりの根本的原因は海外の企業(映画ではアメリカ)が森林を開発したためコウモリの居場所が奪われたことを見逃してはいけません。
映画では、アメリカの企業が森林を開発中にコウモリが飛び立つシーンがあります。
ここ数十年間でアジアをにぎわせたウイルスは、ほとんどが環境破壊によるものが原因と言えます。
普通ならほとんど人間と頻繁に出会うことのない動物や生物が身近になってしまったことで、ウイルスが人間に広まってしまう危険性が増えたことが根本的な原因と言えるでしょう。
感染防止の方法
映画で「人は1日に2000~3000回も顔を触り、起きているときには1分間に3
今回のコロナウイルスにかかわらず、普通の風邪なども、ウイルスが付着した手のひらで顔口などを触ることによって感染していくことが研究で明らかになっています。
無意識ですが私たちは顔や髪の毛や頭皮などを触っていたりしますよね。
アメリカの公衆衛生局の人が記者やテレビカメラの前で、顔を触らないようにと警告した直後、手で口をなめてページをめくったことが話題になっていました。
無意識にやってしまうことなので、なかなか難しいことではありますが、できるだけ意識して顔などに手をやらないようにすることは、映画でも現実でも警告していました。
同様にマスクの着用も叫ばれていますよね。
今までは欧米ではあまりマスクをする習慣がありませんでしたが、今回のコロナ騒ぎでマスクを着用することが日常の形になっています。
マスクはあくまでも医療従事者がするものと思われてきましたが、今は感染を防ぐための新しい様式として受け入れられていますね。
もっともかつて1918年~1920年にスペイン風邪が世界中で大流行したときは、欧米でもマスクの着用が奨励されていたのですが、今になって再びマスクの重要性が見直されているだけなんですけどね。
時代が進むにつれて教訓を忘れてしまうのが人間ですが、しっかりと過去の出来事も現在・未来につながるものとして、学んでいくことが重要であることを再認識する必要があると言えます。
非常時は人間の本性がむき出しになる
災害などない日常では人は法律や倫理をきちんと守れるものですが、社会不安が増大したり閉塞感にあふれた状態が続くと、理性がゆるんで攻撃性が増したり排他的にな行動に出てしまうものです。
映画では、日用品などの買い占めや、薬を求めて争いしまいには略奪行動に出てしまう状況を描いていますが、まさに現実もこのような状況になっています。
日本では店舗への直接的な襲撃はないものの、ドラッグストアで品薄な手を消毒するアルコールが盗まれたりしたりしています。
またマスク、トイレットペーパー、除菌アルコールなどが、買い占めにより品薄状態が続いた時期もありました。
買い占めをしなくても十分供給能力なあるにもかかわらず、先行きの不安が増大すると、どうしても過剰反応がでてきてしまいます。
他にも、「自粛警察」「マスク警察」のように歪んだ正義感によって見知らぬ他者に対して攻撃的な行動に出てしまう事件も起きています。
映画はウイルスによって巻き起こる人間の醜さを描いていますが、それは現実も同じと言えます。
隔離・ロックダウン
欧米では都市封鎖であるロックダウンすることが決まり、人々の移動は生活が法律でもって制限されました。
日本では罰則はないので強制力はありませんが、県境を超える移動はできるだけ避けてほしいと政府や自治体からの要請がありました。
日本はなかなか都市封鎖のイメージが持ちづらいですが、ペストやスペイン風邪などのウイルスで人口が壊滅的な状態になった歴史がある欧米では、厳しい罰則のある法律によって外出規制などで生活を制限することは、現実的な対処法と受け入れられると思います。
このような一定の地域や人を隔離する方法は映画でも、ごく平凡な親子が移動を制限される形で描かれています。
また、マットデイモン演じる男性が、教会に妻の遺体を安置するのを拒否されるシーンもありますが、このコロナ禍でも感染した遺体との対面ができない遺族がいます。
有名なところでは、お笑い芸人の志村けんさんの御家族は、遺体と面会できずに火葬されました。
映画では集団墓地に遺体が入れられる場面もありますが、死者が15万人を超えるアメリカでは実際にそのような状況になっています。
ウイルスに感染しても、無症状の人がいる
映画ではマットデイモンが妻や子供がウイルスに感染し亡くなったにもかかわらず、無症状でまったく健康に影響がないことが描かれていました。
このように感染しても症状がでない人はコロナウイルスでも同じで、感染者の年齢や免疫力のあるなしによるものだと言われていますが、はっきりした原因はわかっていないとのことです。
自分は映画を初めて見たとき、このマットデイモンの無症状の扱いを恥ずかしながらただの「ご都合主義」と考えてしましました・・・。
製作者側が映画のストーリー上、マットデイモンを生かしておきたかったと思ってしまったのですが、今回のコロナ禍の状況を見て、いかに映画が疫学的な見地に基づいて製作されていたかを知りすごい感心しました。
ウイルス調査員の感染と死
映画ではケイトウィンスレット扮する米国疾病予防管理センター(CDC)の調査員が感染を食い止めるべく奔走するのですが、調査中に自らが感染してしまい、亡くなってしまいます。
いつもは主役を演じている俳優が、無慈悲にも銀幕からあっさり姿を消すのは、怖がらせる目的のホラー映画よりずっと恐ろしいものでした。
これらのシーンは、サーズがアジアで広まりつつある時に、世界保健機関(WHO)から派遣された調査職員が亡くなっていることを思い出させます。
また、コロナウイルスを初めて世界に警鐘を鳴らした中国人医師も患者の治療中に感染し亡くなっています。
しかもこの医師は、中国政府からありもしない病気を扇動したことにされ、虚偽の発言をやめるように警告されてしまいました。
皮肉にもこのあと、瞬く間に感染が拡大してしまっていったので、もう少し中国政府が耳を傾けて調査していれば、ここまでの感染拡大は防げていたかもしれません。
陰謀論
大きな事件には必ず陰謀論が付きまといます。
ケネディ暗殺しかり、3.11アメリカ同時多発テロ事件しかり。
この映画でも、ブロガーが効果のない薬を効果があるとしてネットでデマを流して金儲けをしているシーンがありました。
現実でもコロナウイルスは武漢の研究所で細菌兵器が漏れ出ていたものだという噂が流れていましたし、十分な供給能力があるのにトイレットペーパーがなくなるとツイッターで悪意のある投稿が出回って、極端な品薄状態になりました。
社会不安を利用して金儲けをしたり、デマを流したりするのは映画でもしっかり描かれていたと言えます。
現実と異なる点
感染を止められない世界保健機関(WHO)
現実の世界保健機関(WHO)は頼りないものですね。
どことなく中国寄りの姿勢が感じられ、感染に関する国際会議の場には台湾は呼ばれませんでした。
また中国の感染拡大についての情報公開の遅れも、さして糾弾したりはしていません。
WHOもやはり国家間のしがらみがあるので、なかなか一枚岩になった組織にはなりにくいのかもしれません。
映画では、WHOは先頭を切って調査を開始し、どこかヒーローのような存在みたいに扱われていますが、個々の人たちの頑張りは別として、現実は感染症対策のリーダーシップは取れてはいないと感じます。
致死率と感染の広がりの関係がアンバランス
疫学的にですが基本的にはウイルスの致死率が高いほどパンデミックは起きにくくなります。
宿主が死亡することによってウイルス自体も死んでしまい、感染が大規模に広まることはないからです。
なので、映画『アウトブレイク』のように100%の致死率という設定なのに、感染が次々拡大するストーリーはあまり現実的ではないかもしれません(映画自体は名作だと思っています)。
コンテイジョンは致死率を20%~30%と少し現実に近づけていますが、潜伏期間が1日~2日程度と短く、死に至るまでまでのタイムスパンが早すぎるので、映画のパンデミック表現と致死率との間に、若干アンバランスな部分もあると言えなくもありません。
それでも、他のパンデミックものの映画に比べれば、疫学的考証をかなり正確に映画に取り込んでいるので、大変現実味のある設定だと個人的には思います。
鑑賞のポイント
この映画の一番素晴らしい鑑賞ポイントは、感染経路を可視化しているところです。
使用済みのコップや電車のつり革などを意味ありげに見せることによって、ウイルスがの伝播していく様子が、ウイルスが見えないながら克明に表現されています。
また、公開当時は、「クラスター」「パンデミック」「ソーシャルディスタンス」など耳慣れない単語でしたが、今映画を見返してみると、それが作品の中で当たり前のように使われています。
本来なじみのなかった単語を普通に理解できてしまうところが、この映画が科学的考証を重視して製作していることがわかるし、ある意味コロナ禍を予言した映画と目にうつるのでしょう。
淡々と進むストーリーで、ドラマティックな展開もほとんどないですが、ウイルスだけでなくパンデミックから引き起こる人間の醜い争いも描いているので、映画が終わった後も持続的な恐怖を感じてしまう映画となっています。
最後に
ビルゲイツは「人類が恐れるべきものはミサイルではなく、微生物だ」と言っていましたが、まさにその通りとなっていますね。
コロナ禍の中で、人はどう考えどう行動するべきか、映画の中にそのヒントはたくさん散りばめられているように思えます。
外出の自粛などでなかなか自由に外には出られませんが、映画『コンテイジョン』を見返すことによって、コロナ禍での生き方を学んだり、映画の楽しさを味わってみていただければと思っています。