別の記事でロイヤル・オペラ・ハウスの近くにある「Young Dancer」というバレリーナ像を紹介しましたが、今回は同じロンドン市内にあるバレエファンなら見ておきたい
「アンナ・パヴロワ像」
についてご紹介したいと思います。
ひょっとしたらアンナ・パヴロワ(Anna Pavlova)というバレリーナを知らない人もいるかと思うので、簡単な人物紹介もあわせてしながらご紹介したいと思います。
バレエファンはもちろん舞台鑑賞など好きな方は、ロンドンに訪れた際にぜひ見てみてください!
「アンナ・パヴロワ像」のはどこにあるか?
「アンナ・パヴロワ像」を見るにはまず「ロンドン・ヴィクトリア駅(London Victoria station)」に向かいましょう。
ヴィクトリア駅は、地方へ伸びている長距離鉄道や、ロンドン最大の長距離バスターミナル「ヴィクトリア・コーチステーション」もあり、ロンドン旅行の際には頻繁に使用することの多い中心駅です。
なので、今回ご紹介する「アンナ・パヴロワ像」ですが、わざわざ見に行く必要もないかもしれませんね。
なぜなら、あえて見に行こうとしなくても、ヴィクトリア駅に立ち寄った時に「アンナ・パヴロワ像」があること覚えておけばいいからです。
「アンナ・パヴロワ像」はこのヴィクトリア駅の前にある「ヴィクトリア・パレス劇場」の屋根の上にあります。
遠くからだとちょっと見ずらいですが、金色の像は劇場のてっぺんに堂々とした姿でアティチュードをしていますので、目を凝らして見てみてください。
ちなみにこの「ヴィクトリア・パレス劇場」では、映画『リトル・ダンサー』のミュージカル版『ビリー・エリオット(Billy Elliot)』がかつて上演されていました。
バレエダンサーを志す少年を描いた『ビリー・エリオット(Billy Elliot)』を上演する劇場の頭上に伝説のバレリーナの像があるのは、過去と現在がつながっているようで面白いですね。
「アンナ・パヴロワ像」はどんな感じ?
上の写真ではあまりにも遠いので、アップ写真を見てみましょう。
前方を見ながらアティチュードを決めている印象的なポーズです。
現代の踊りの基準から見ると、少し右足のアンドゥオールが甘い気がしますし、背中の硬さもちょっと感じてしまいますが、身のこなしはバレリーナそのものですね。
けっこう遠くから見ることになるので写真でないと細かい姿はとらえづらいですが、夜間などライトアップされると綺麗ですよ!
「アンナ・パヴロワ像」はなぜこんなところにある!?
ここまで読んで、ロシアのバレリーナ像がなぜここにあるのか疑問に思う方も多いので説明しますと・・・。
当時の劇場のオーナーが、アンナ・パヴロワが最初のロンドン公演を「ヴィクトリア・パレス劇場」で上演してくれたことに敬意を表して、劇場のキューポラ(円頂塔)の上に彼女の金色の像を立てたことが始まりです。
第二次世界大戦でバレリーナ像が爆撃にあうことをおそれて取り外した時にいったん行方不明になってしまい、半世紀以上何の像もない状態が続いたこともありますが、その後オリジナルのレプリカが忠実に作製され見事に「アンナ・パヴロワ像」が復活し現在に至っています。
実際のアンナ・パヴロワの人生と同様に、バレリーナ像も波瀾万丈な遍歴を経てきたことを考えながら、ヴィクトリア・パレス劇場を見上げると感慨深いものがこみ上げてきますよ!
アンナ・パヴロワ(Anna Pavlova)について
ここでバレエに詳しくない人のためにアンナ・パヴロワ(Anna Pavlova)をざっくり紹介しておきましょう。
アンナ・パヴロワは1881年にサンクトペテルブルクで生まれたロシアのバレエダンサーで、マリンスキーバレエ団のスターでした。
サンクトペテルブルクでのキャリアから、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスと共にヨーロッパで短期間踊った後、1912年にイギリスに定住し、その後、彼女は世界中を旅し、オーストラリアや南アメリカなど、バレエを見たことのない国や地域にもバレエを伝えていきました。
彼女の踊りで特に有名なのは『瀕死の白鳥』で、サン・サーンス「白鳥」の曲で踊られるソロ作品です。
少し画像が荒いですが、一応下にあるように動画が残っています。
アンナ・パヴロワはこの踊りで文字通り世界中を飛び回ったので、『瀕死の白鳥』は彼女の代名詞となっています。
死の床に就いた際にも
「私の白鳥の衣装を用意して!」
と叫んだと言われているので、本人も『瀕死の白鳥』を自分と同一視していたのでしょう。
今でこそ『瀕死の白鳥』は他のバレリーナでも踊られますが、彼女が亡くなってからはしばらく彼女への敬意から20年以上ずっと踊られることはありませんでした。
ちなみにアンナ・パヴロワは日本にも来たことがあり、芥川龍之介などの文人が鑑賞したとこのことですね。
ヨーロッパだけでなくアメリカ大陸やアジアなど本当にバレエの未開地へ行きバレエを広めたことを考えれば、バレエの伝道師と言っても過言ではないでしょう。
アンナ・パヴロワはお菓子にもなった!
ちなみに有名な「パヴロヴァ(Pavlova)」というお菓子を聞いたこと(食べたこと)がある人もいるかと思いますが、これはアンナ・パヴロワがツアーで立ち寄った国で、彼女をモチーフに作られ名づけられたと言われています。
ニュージーランドかオーストラリアか、どちらが元祖なのか揉めているらしいですが、いずれにしても両国にアンナ・パヴロワは足を運んでいるので、それだけ大きな影響があったのでしょう。
お菓子の名前になってしまうほど、世界中の人々を魅力をしたことがわかりますね。
最後に
バレエファンの方はロンドンに来たら間違いなくロイヤル・オペラ・ハウスに行きバレエを見て、近くにある「Young Dancer」のバレリーナ像を見るかと思いますが、今回ご紹介した「ヴィクトリア・パレス劇場」の「アンナ・パヴロワ像」もヴィクトリア駅を利用する際には忘れずに見てもらえればと思います。
できれば「ヴィクトリア・パレス劇場」の中にも入り、アンナ・パヴロワも踊った舞台を実際に見て、伝説のバレリーナへの想いを馳せるといいですね!